若いときは思わなかったけど、長生きって良いよねって話。

どもども!
こんにちは、ムスクの中の人です。

なんだかんだと日々は生き急ぐかのように毎日過ぎていきますけども、みなさんはこのコロナ禍な秋の夜長をいかがお過ごしですか?

僕はプライベートなことですけども、「なんなん!?」ってことが多いように思います。
人と人のことなので、どっちが良い悪いって話ではないのですが、いい加減にせえよ!と思ったりもするわけですよ。
そんなときに、ハッとしたんですよ、実際問題、心の奥底のホントの本音なんて俺も言ってないなと。

でも、相手には本音を求めるわけですね、これって矛盾してないか?というか等価じゃないなと。

最近、ってか、ここはムスクの場所なのでそこまでは言わないですが、僕自身がけっこうな経験をしてきたと思っていたけど、やっぱりまだまだ先はあるんだなと思ったんすよ。
そりゃ、生きてれば大なり小なり良いこと悪いことがあろうかと思うんす。

そんな中で、若いときはもっと単純に見えてた事が実は何層にもなっていて、あの人が残した言葉やこの人が言っていた事などがより重みをもって降り掛かって来たりするんすよ。
僕自身の若いときの「答え」といまの「答え」がはっきりと違っていて、戸惑いつつもこれは面白いなと思うんすね。

あの時だした「答え」は今の「答え」のものもあれば、ともすれば、全然違う「答え」のものもあって自分自身のことなのにこれめちゃくちゃおもしろいなと思ったんすね。

そりゃね、人間生きてれば紆余曲折はあるよ、そんな紆余曲折をして大人になるんかなって。

若いときは「大人」って言葉が本当に理解出来なかった。だって思い描くような「大人」がいなかったもの。
でも、年齢的には「その時」に見てた大人の年齢になって思うのは、はは~んって感じの事が多いように思います。

大人に抱くイメージや理想や、はたまた幻想は人それぞれあろうかと思うのですが、それを目指してる人ってそもそもそんなにいなくね?とも思いますし。
自分のこれまでを振り返って、子供の自分にかけられる、もしくは、かけてもいい言葉って今の自分を鑑みて言える言葉って、本当に制限されてしまう気がします。

なぜなら、子供のころの自分が思い描く「大人」になれてない自分がいるからですね。
そこまで厳密でいる必要はないと思いますけど、自分の若いときと今の自分を比較対象にしたときに、やっぱり自分に言えないような事は他者に言っちゃいけないなとも思うわけですね。

んで、タイトルの話になるわけですけど、今このブログを書いてるときの年齢は37歳で、若いときにこの年齢まで正直生きてると思ってなかったのもあるんですけど、案外生きてみると惰性だろうがなんだろうが得れるものがあるなって思ったんでブログにしてみました。

というのも、世間ではなんでこの人が?って人が世を自分で去っていくそれらに対して思うことです。
Twitterを見ていてもフォロワーさんが苦しんでるのを見ると、ちょいちょいリプやDMなんかを送ったりするのですが、まだ見えてないものやこれから先に見たかったものがまだまだ出てくるかもよ?と。

なのでね、そんなときはムスクの飲んだくれはいつでもお声がかかれば行きますので、お声かけてもらえたらなと思います。

いつかの自分にはそんな人がいると思えなかったので。
でも、このブログを読んだあなたはもうどっかに心配や一緒に飲める誰かがいるで!一緒に長生きして「答え」を見よ♪

 

ってなわけで!
ばいばい(V)o\o(V)

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